2014年11月2日日曜日

11月9日のご案内

11月9日のアイヌ語教室のご案内
千歳アイヌ教室


 このところ行事と重なり、教室での勉強はちょっとお休みでした。でも、アイヌ文化工芸展も、鵡川のシシャモカムイノミも、貴重な体験を積む事が出来たと思います。幅広くアイヌ文化に触れる事は、アイヌの人たちの心を知る上で大切な事だと思います。

シシャモノミの会場 風はありましたが気持ちのよい1日でした。
シシャモも美味しかったですね
刺繍を習うアイヌ語教室の生徒さん








 






























 

 さて9日は、お婆ちゃんたちが昔どのような暮らしをしてしていたかの一端を学びましょう。

日常生活
 子どもが結婚すると年寄りは別居して暮らしました。子どもの家の近く(スープの冷めない距離)に家を建て、体が動くうちは日常生活はなるべく自分でするようにし、畑を耕すなど食料も自給できるよう心がけました。

介護
 離れて暮らしている事によって、嫁・姑などの余計な摩擦をさけ、また年寄り通しの交流など誰の気兼ねもなく自由に暮らしていました。一定の距離を置く介護、これがアイヌの人たちの知恵だったのでしょう。
 当時は薬漬けとか、胃瘻とか人口呼吸などの医学も機材も薬もありませんから、現代のように意識もなく自力で食事をとる事もなく10年以上も寝たきりなどと言う事は滅多にありませんでした。 

食事
 原則的には、自分で動けるうちは自分の食事はじぶんてつくりました。それが認知症予防、身体機能の老化防止に役立っていたのでしょう。御馳走を作ればそれを孫に運ばせたり、畑で今年初めての作物が出来れば若夫婦の家に届けたりと言う日常的な交流はとても大切にしていました。
 もちろん、寝たきりになれば息子夫婦が引き取り食事の世話をするのは当然でした。

交流 
 近所の年寄り通し、気のあったもの通しが集まり、日がな昔話や、覚えている物語などを互いに語って、歌って楽しく暮らしていました。

住まい
 土地所有の観念がありませんでしたから、そのコタンの人たちの相談でどこにでも家を建てることが出来ましたし、また家を建てる材料は川に行って葦を、山に行って木を集めてくれば特に建築費はかかりませんでした。
 大工さんも、コタンの人みんなで協力しましたからこれも無料でした。 だから、特に女性が死ぬと、あの世で暮らす家がなくて困るだろうと、家を燃やしてあの世に送る事も可能だったのでしょう。この世だけでなくあの世の住宅も保障されていました。

 村の中で、子どもたちに見守られながら、しかも独立した居場所を保障され自由気侭な老後を送る。何て素晴らしい老人福祉制度なんでしょうね。

 今日勉強するとこは、そんな時代背景を思い浮かべながら呼んでみましょう。
 
 テキスト 37ページ〜38ページ

ku=kor huci nep ne yakkka
クコ フチ ネ ネ ヤッカ

otupekare wa yar amip utapke wa
オトペレカ ワ ヤ アミ ウタケ ワ

pirka amip neon an pe ne kar
カ ア ネノ アン ペ ネ カ


utari arki kor
ウタリ アキ コ 

ku=kor huti kaeka kor ueneusar
クコ フチ カエカ コ ウエネウサ



新しい単語

nep(代名詞) 何

ne(他動詞) 〜である 〜になる
 
yakka(接続助詞) 〜であっても 〜しても

ne yakka(常套句) 〜でも

otupekare(他動詞) 〜を大切にする
           〜を粗末にしない

yara(自動詞)ほころびる

amip(名詞) 着物

utapke(他動詞) 〜を繕う

neon(副詞) 〜のように

ne(格助詞) 〜に
 
utari(名詞 所有形) 〜の仲間たち

arki(自動詞 複数)来る

kaeka(自動詞) 糸縒り

kor(接続し)〜しながら

ueneusar(自動詞)四方山話を語り合う

         語りあって楽しむ

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